サリエリのモーツァルトへの愛と憎しみの分かれ道
高
校時代、音楽の授業で1度観たことがありましたが、あらためてもう1度観たくなりました。
天才音楽家モーツァルトの才能に嫉妬した宮廷作曲家サリエリの視点から、天才と凡才、人間の葛藤を描いた、映画『アマデウス』です。
モーツアルトの音楽は、胎教によいとか、心を癒す作用があるともいわれています。
実際に聴いても本当にすてきだと思います。
でも、この物語に描かれているモーツアルト像が事実に近いのだとすれば、作品というものは必ずしもその作者のパーソナリティーを反映するものではないのだな、と感じずにはいられませんでした。
この映画を観て、わたしがもっとも強く考えたのは、愛することと憎むことは、コインの表と裏のようなものかもしれないということです。
相手を想うとき、それは愛になります。
けれど、自分だけを想ってしまうとそれは憎しみに変わるのかもしれません。
サリエリは、モーツァルトのことを、きっと愛していたのだと思います。
それはそうと、モーツァルトってフランス革命と同じ時代を生きた人なのですね。
映画の中では、モーツァルトを宮廷音楽家として雇ったヨーゼフ2世が、妹であるマリー・アントワネットのいるフランスの革命前夜の状況を揶揄するようなシーンも描かれていました。
また、モーツァルトの作品を否定した宮廷の人たちに対して、「ギリシャ神話なんてまっぴらだ。今という現実を描きたいんだ」という趣旨の一節もあり、啓蒙主義の時代精神がよく表れているなと思いました。
* 2025年4月に加筆修正しました。
追記
芸術家や俳優の作品と、その人自身のパーソナリティを切り離して考えるようになったきっかけは、思い返せばこの映画を観たことだったのかもしれません。