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偶然たどり着いた場所でもそれは運命なのだ – 映画『セレンディピティ』でのことばとの出会い

  • October 28, 2008

映

画や本の中で出会ったことばが、その物語とともに甘く心に残ることがあります。
自分がずっと言いたかったことを、ぴったり一言で言い表してくれることば。
あるいは、それまで自覚していなかった感情に光を当ててくれるようなことば。

わたしにとって “serendipity” ということばは、そのひとつです。

The faculty or phenomenon of finding valuable or agreeable things not sought for.
求めていなかった価値あるものや心地よいものを見つける能力、または現象
– Merriam-Webster Dictionary

日本語では「偶然見つけた幸運な発見」などと訳されることが多いようです。
たとえば、今ではなくてはならない抗生物質の始まりであるペニシリンも、セレンディピティによって発見されたといわれています。

このことばを教えてくれたのは、タイトルにもなっている映画『セレンディピティ』でした。

物語は、ニューヨークのブルーミングデールズで出会った男女が、数時間をともに過ごしたあと、運命を信じて連絡先を交換せずに別れ、その運命を信じてふたたびお互いを探し求める、というものです。

わたしも、この映画の中で語られる運命論に共感するところがあります。
すべては運命として定められていて、その運命に出会うためにさまざまなものが動いている。
それは恋愛にかぎった話ではなく、日常の中にもあてはまる気がしています。
言い換えれば、自分にふりかかるすべてのことが、自分にとって意味のあることなのだということ。
そう考えると、いやな出来事さえも少し愛おしく思えてくるのです。

※以下、物語の展開に関する詳細を含みます。

わたしが「これがセレンディピティだ」と強く感じたのは、主人公のジョナサンが、運命を信じて別れた相手・サラを探し続ける中で出くわしたひとつの場面でした。
彼女の手がかりであるはずだった不動産業者のオフィスは、いつの間にかブライダルショップに変わっていたのです。

ジョナサンはそれを見て、こう言います。

Maybe the absence of a sign is a sign.
もしかしたら、“サインがない”ということ自体がサインなのかもしれない。

この一節を聞いて、しみじみと「そうだよなあ」と思いました。
結局のところ、自分に起こったことをどう受け取るか次第なんですよね。

この映画では、ジョナサンが「サラとの出会いは運命ではなかったのかもしれない」と感じて、翌日に控えた結婚式のリハーサルに戻ります。
そこで彼の婚約者から贈られた本の中に、まさに運命のサインが隠されていたという皮肉な展開になります。

運命というのは、ただ「そこにある」ものなのかもしれません。
「これが運命だったんだね」と自分で言葉にするまでもなく、すべてはすでに決まっている。
偶然に思えることも、その運命の中に内在している。

そんなふうに思えた映画でした。

ちなみに、この映画に登場するカフェ “Serendipity 3” にわたしも行ったことがあります。
そのときはまだ映画を観ていなかったので、フローズンホットチョコレートが有名だということも知らず、ハンバーガーを食べました。
でも、わたしもブルーミングデールズの帰りに立ち寄ったんです。
お買い物って、思っているより体力を使うから。
そういうときにふとひと休みするのにぴったりのお店でした。

* 2025年4月に加筆修正しました。

Photo by Hannah Busing on Unsplash

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