「無知の知」か「不知の自覚」か、それが問題ではない
思
考が自分をかたちづくるというのはよくいわれることです。
そして、思考はことばでおこなわれます。
だから、出会うことばというのはとても大切ですよね。
自分が知らないというたった1つのことを知っている
ティーンのときに出会えておいてラッキーだったと思えることばがあります。
これを知ったのは、高校1年生の倫理の授業でした。
ソクラテスのことばといわれているから、高校に入学してからすぐだったんだろうと思います。
「無知の知」、自分が知らないというたった1つのことを知っている、という意味です。
このことばを先生が説明しているのを聞いて、「わあ、本当にそのとおりだな。ものすごくすてきなことを知ることができたな」とひとりで興奮したのを、今でも思い出せます。
このことを知る前と知ったあとでは、世界の見え方が全然ちがうと思えるくらい。
花曇りの景色から太陽の陽射しを浴びて緑が色鮮やかに見える季節への移り変わりが、一瞬で起こったかと思うくらいわたしには衝撃的でした。
自分が知らないということを知っているだけで、すごく頭がよくなったような気さえしました。
世界が大きく広がって、無敵の気分になったんです。
こうやって書いてみると、なんだかわたしアホっぽいね?と笑ってしまいますが、そんなことはないとわかっています。
自分の基本にこの考え方があるだけで、知らないこと、わからないことを、素直に知らない、わからない、と言えます。
知らないことに出会えるとウキウキします。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざがありますが、わたしからいわせれば、聞くことは一時の恥どころか新しいことに考えをめぐらすことができる楽しい機会です。
それに、わからないことを素直にわからないと言える人は、チャーミングだと思います。
助けてあげたくなります(わたしもたくさん助けてもらってきました)。
知ったかぶりをしてもだいたい周りの人にはバレているものだし、そういう人を魅力的だと思ったことはありません。
なかには一周回ってそこがかわいいと思える人もいるけれど。
知ることへの好奇心を肯定的に自分の中で持てていることも、わたしにとってこのことばを知ったメリットです。
ENTPであることの根っこにもなっているかもしれません。
おとなになってから、知らない、わからないと素直に言えない人たちにたくさん会います。
もったいないと心の中で思っています。
そういう人は、知らないと言うことで自分の価値が下がるとか、知らないことが恥ずかしいとか思ってしまうのかしら。
思ってしまうんでしょうね。
知らない、わからないと言ったときに、そんなことも知らないのかとバカにしてくる人もいます。
でも、そういう人は自分が知らないことを知らない、取るに足らない人だから、気にする必要なんてありません。
「無知の知」か「不知の自覚」か
少し前に、ソクラテスは「無知の知」なんて言っていないらしいということが話題になりました。
でも、よくよく調べてみると、「無知」というのは「本当は知らないのに知っていると思う」ことで、「知らない」ことは「不知」であるということらしい、そして、ソクラテスは「知らないこと」を「知っている」のではなく、「自覚している」と言ったということらしいのです。
よって、正しくは「不知の自覚」というべきだと。
つまりは、表現のまちがいや誤訳であるということですよね。
「知らないことを知っている(正しくは”自覚している”であったとしても)」という考え自体が存在しなかったわけではないということです。
よかった。
「無知の知」ということばが浸透しすぎていて、どちらを使うべきかは迷ってしまいますが、自分が知らないということを自覚する姿勢は、これからも保ち続けます。
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